私の娘は小学校4年の2019年6月上旬から学校へ行けなくなり、約7か月後の2020年1月に再び毎日学校へ行けるようになりました。
この約7か月間、本当にいろんなことを考え、学びました。
私は娘が不登校中の間、ほんとうに辛くて、「死んでしまいたい、、」と何度も思ったものです。
そんな時、私を助けてくれたのが、同じ経験をもつお母さんの経験談でした。
- 私と同じだ。
- 私だけじゃない。
- そっか、こんな考え方もあるんだ。
- うちも不登校から抜け出せるかもしれない。
、、そんな風に私は、勇気づけられました。
だから今回は、娘が学校へ行けなくなった時から、学校へ行けるようになる時までの出来事、私が学んだことを時系列でお伝えしていきたいと思います。
この記事が少しでもお役に立てれば嬉しく思います。
【不登校が始まった日】動揺とパニック
不登校の始まりとなった日の朝、私は娘の「学校へ行きたくない」という言葉に心臓をえぐられそうでした。
まさか、うちの娘が不登校?!ううん、大丈夫。きっと大丈夫。
そんな不安と根拠もない自信を持ちながら、一生懸命にダンナさんと娘を説得して、なんとか娘を登校させることに成功します。
ああ、良かった。。
当時、私はフルタイムで事務の仕事をしていたので、娘を送り出した後、会社へ出勤しました。
娘は大丈夫なんだろうか、、、
働きながらも娘を心配するけれど、やっぱり現実から逃げたいのか、信じたくないのか、「ま、大丈夫やろ」と自分に言い聞かせていました。
でも、会社に入った1本の電話で、私は動揺します。
ー「頭が痛いということなので、保健室で休んでいます。お迎えに来てもらえますか?」-
ああ、、やっぱりあかんかったんや。
すぐさま会社を早退して、学校の保健室へ向かいます。
そこには、魂がぬけた娘がいました。
保健室の先生には、朝、学校へ行きたがらなかったことと、行きたくなかった理由を伝えました。
帰り道、私は娘に何も話しかけられず、ただだまって一緒に帰るしかできませんでした。
家に着いて、自分の部屋で泣く娘。
そして、白目をむいて泣きながら笑いだす娘の姿に、私は驚き、動揺し、娘の肩を両手で揺らしながら、必死で娘の名前を呼びます。
それでも、娘は正気に戻らず、ずっと白目を向いて泣きながら笑い続けます。
どうしよう。。。どうしたらいいか分からへん。。。
困った私は、近所に住む義理の母に電話をして、来てもらうことにしました。
とても1人では受け止められない状況でした。
そして、義理の母と私で必死に娘の名前を呼び続けていると、だんだん娘の意識が戻ってきて、私たちの言葉を聞ける状態になりました。
とりあえず、よかった。。
でも、娘の心が限界を超えて、ボロボロになってしまっていたことに、私はようやく気付いたのでした。
「どうしよう。とりあえず、この子を診てもらえる病院を探そう」とネットで近くの心療内科の病院を探し、片っ端から電話をかけました。
そしてはじめて、
- 子どもを診察できる心療内科の病院は少ない。
- 子どもを診察できる心療内科は予約でいっぱいで、すぐに診てもらえない。
ということを知るのでした。
心療内科の病院は割とたくさんあるのに、子どもを見てもらえるところが少ない!!
少ないから、新規で診療してくれるところが全くない!!
愕然としました。
そして、娘と同じように心を病んでしまった子どもがたくさんいることに驚きました。
とりあえず新規で診療してくれるかもしれない病院には、今の娘の症状を伝えて、後日、診察予約を受け付けてくれるかどうかの連絡を待つことになりました。
心療内科は娘が行きたがらなかったので、結局行っていません。
まさか、自分の娘がこんなことになるなんて、、
私は、目の前が真っ暗になった気分でした。
【娘の不登校 1か月目】心身ともにグッタリ
在宅ワークで睡眠不足 食欲もなくなる
私は正社員として働いていたのですが、学校へ行けなくなって情緒不安定な娘を一人で家において、出勤なんてできませんでした。
だから、会社のパソコンを持ち帰り、家で仕事をすることにしました。
でも、日中は娘に寄り添ってあげたかったので、仕事はせず娘が寝てから仕事をするようにしていました。
この頃の娘は情緒不安定だったので、夜に寝られない時も多く、その時は一緒に起きて一緒に時間を過ごしていたので、仕事を始めるのは夜の11時過ぎてからということがよくありました。
私の会社のチームはとても理解があって、私の突然の休暇(家で仕事はするんですが休暇扱いです)でも、協力してカバーしてくれました。
そのおかげで、だいぶ仕事の負担は減ったのですが、マニュアル化できていない業務もたくさんあり、また「チームのみんなになるべく迷惑はかけたくない」という思いから、夜中に仕事をしていました。
だいたい朝の4時くらいまで仕事をしていたんじゃないかな、、もう寝不足で、寝不足で、、(>_<)
そして、
「このまま娘はどうなってしまうのか」
「私はどうしたらいいんだろう」
、、いろいろなことをウジウジ考えていたら、ご飯なんて食べる気にもなれなくて、どんどん痩せていきました。
ずーっと痩せたくて、いろんなダイエットをしてきた私ですが、あっと言う間に目標体重を達成しちゃいました。。
「食べてないのに痩せなーい」なんて言ってましたが、食べてたんですね。。まさかの気づき(-_-;)
退職を決意
娘が学校に行けなくなって2週間して、ダンナさんから「すぐにでも会社を辞めてくれないか」と言われました。
実は、娘が不登校になる前から会社を辞めることは決めていて、7月末を最終出社にして辞めるつもりでした。
ずっと娘から「お母さん会社やめてほしい」と言われていたし、私自身も会社の業務をこなしながら、家事、育児をするのは本当にしんどくて、限界だったからです。
突然の休みでも、チームでなんとか業務が回ったのは、担当の後任も決まった状態で、少しずつ業務の引き継ぎをしたり、ある程度マニュアルを整備していたからだと思います。
不幸中の幸い、、まさにそんな感じです。
私も
「もう、すぐには娘は学校に行ける状態じゃないし、きっと通常どおりに勤務することはできない」
と思ったので、会社に退職日を1か月ほど前倒しさせてもらおうと決意しました。
長年お世話になった会社に、最後の最後でかなりの迷惑をかけてしまったのですが、当時の私は心に余裕もなく、自分のことでいっぱいいっぱいで、「とにかく娘のフォローに専念したい」それだけでした。
いろんな人に相談する
「なんでこんなことになってしまったんだろう」
「私は親としてどうしてあげればいいんだろう」
私は「娘の不登校」という未知の世界にどうしていいか分からず、とにかく話を聴いてもらえる人のところへ行きました。
このとき私が相談に行ったのは、保健室の先生、スクールカウンセラーの先生、役所にある子育て相談窓口でした。
保健室の先生には下記のようなことを話していました。
- 家での娘の様子
- 娘が3年生の担任の先生に傷つけられたこと
- 娘の友達関係
保健室の先生は、本当に親身になって話を聴いてくださり、私の心の支えになりました。
本当にありがたかったです。
スクールカウンセラーの先生にも相談しに行きましたが、肝心の娘が行きたがらなかったため、結局、「また娘さんといっしょに来てください」みたいな感じで終わりました。
たしか、「今は私たちと状況が違ってきていて、不登校が増えている」みたいな世間話をしただけだったと思います。(中身なかったので、よく覚えてない、、)
結局、娘はずっとスクールカウンセラーの先生の所には行きたがらなかったので、この1回きりです。
学校へいけないのに、学校にいるスクールカウンセラーの先生に会いに行けるはずないですよね。。。
だからうちの場合は、スクールカウンセラーの先生に相談しても特にプラス面はありませんでした。
あとは、役所の子育て相談窓口に行き、アドバイスをいただいた内容は下記のようなことでした。
- 「私もそうだったよ」と共感してあげる。
- 親の体験からいろんなことを伝えてあげる。
- 娘に自分が決めた通りにさせてあげる。
- 学校に関することだったらなんでもいいので、触れさせてあげる。(保健室に行く、通学路を通ってみる、教科書を開けるなど)
- 成功体験を積み上げてあげる。(転んでも、助けてもらいながら起き上がる体験)
- この場所だった大丈夫という場所をつくる(保健室など)
助けてもらいたくて相談に行ったくせに、当時の私はここで教えてもらったことを全く行動にできませんでした。
なんか、当時の私にはとっても理想というかハードルが高すぎて、諦めちゃう、みたいな。。
やる気あったんかなかったんか、よく分からないですね。
心身ともに疲れていて、改善するための行動をする余裕もなかったけれど、とにかく、何か「解決に向けて動いている」気分でいたかったんだろうな、って思います。
子どもの自己肯定感を上げるための本を買う
娘が学校へ行けなくなり、私はネットで原因を探しました。
その時によく出てきたワードが「自己肯定感」でした。
自己肯定感・・・「自分が好きで自分に自信がある」と感じる心
先ほどもお伝えしましたが、この時の娘は「私なんか」という言葉をよく言っていました。
確かに、娘は自己肯定感がとっても下がっているようでした。
なんとか、娘の自己肯定感を上げなければ、、、と、私は「子どもの自己肯定感を上げる」ための本をいろいろと買いました。
ここで、とても恥ずかしいのが、、買ったはいいけど当時の私はなぜか読まなかった本もたくさん。。
なんとか子どもの状態を良くしたいと思って買った本なのに、積読(いつか読もうと思いながらそのまま放置されている状態)になってしまうフシギ。。
積読になってた本もちゃんと読みました!!
別記事でまとめていますので、良ければどうぞ☆
ランドセルを背負う子ども達の姿を見て涙する。。
「ランドセルを背負って、学校に行く」
娘が不登校になる前の私にとって、これは当たり前のことでした。
でも、いざ子どもが学校へ行けない状況になると、道端で見るこの光景がとても光り輝いて見え、「なんて素晴らしいことだったんだろう」と気づき、涙がでてきました。
子どもが元気に学校へ通えるということは、親子ともに幸せでありがたいことだったんだと、心から思いました。
でも、現実はそこから遠い場所にある。。
そんな現実に目を向けると、本当に胸が締め付けられる思いでした。
【娘の不登校 2か月目】反省し、たくさんの気づきを得る
子どもをコントロールしようとしていた自分に気づく
ネットで、「子どもが不登校になる原因」を調べていたとき、7割が親の接し方が原因と書かれた記事が。。
これを読んだとき、私はめちゃくちゃショックでした。
そこには、子どもが不登校になるのは、親が「ああしなさい」と指示や命令したり、過保護にしてしまうことが原因と書かれていました。
まさに私だ。。。
そして、そんな自分の言動パターンに気づき、振り返ってみると、娘が不機嫌になるときはいつも「~したら?」とか「~はどう?」とか提案して、私の思い通りにさせようとするときだったと気づいたんです。
「もう、そんなふうに子どもをコントロールするのはやめよう!」
そう心を入れ替えるけれど、これがなかなか難しくて、ついつい「~したら?」とか言ってる私。。。
そして、子ども達が話しかけてきても、「ちょっと待って」と言っている自分にも気づいたんです。
ああ、ぜんぜん子ども達の話を聴いてあげられてなかった。
ずーっと仕事と家事、育児でいっぱいいっぱいだったという言い訳もありますが、これには自分でもビックリで、ものすごく反省しました。
話はろくに聞かないし、自分の思い通りにコントロールしたがる母親。。
娘が不登校になって初めて、私は自分がこんな母親だったということに気が付いたのでした。
【参考記事】要チェック!不登校になる親の7つの特徴と子どもの性格への影響
「HSC」を知り、心が軽くなる
ネットで初めて「HSC」という言葉を知ります。
HSCとは、「Highly Sensitive Child」の頭文字を取ったもので、「ひといちばい敏感な子」とのこと。
「フツウより敏感な子がいるみたい。もしかしたら、うちの娘もこの「HSC」なんじゃないか?」
そう思って、HSCについて書かれた本を探し読んでみると、「まさに娘!」と言えるほど、HSCの特徴がぴったりと当てはまったのでした。
「こんな繊細な子にしてしまったのは、私の育て方のせいなのかも・・・」
と自分を責めていたところもあったので、「HSCは育て方でなるものではない」とこの本で教えてもらって、心が軽くなりました。
そして、そんな繊細な娘との接し方も分かり、またひとつ母として良い気づきを得ました。
▼私がHSCについて学んだ本「HSCの子育てハッピーアドバイス」に関しては別の記事で詳しくお伝えしています▼
教育のプロから助言をもらう
もともと小学校の校長先生で、今はいろんな小学校を回り、改善点などをアドバイスされているという、教育のプロに相談させていただく機会をいただきました。
校長先生のご紹介でした。
そこでアドバイスをいただいたのは、
- どちらでもいいことを伝えること
- 子どもを信じること
が大切ということでした。
例えば、子どもが「お風呂に入りたくない」といえば、
と言うのではなく、
というような対応です。
そして、子どもを信じていれば、子どもに「ああしなさい、こうしなさい」ということはなくなるとのことでした。
確かに、子どもに「宿題した?しなあかんやん!」と言ってしまうのは、「子どもは宿題をきちんとする」と信じていないからだと気づきました。
「この子が何を選ぼうがどちらでもいいし、何を選んでもこの子はきっと大丈夫」
そういう考え方があることを教えてもらえて、貴重な時間となりました。
【娘の不登校 3か月目】期待と喜びと絶望のジェットコースター!
なんとか!2学期から学校へ行ってほしい!!と必死。
「夏休み明け」が、再登校するベストなタイミングなはず!!
と、私は2学期から娘を学校に行かせようと必死でした。
「夏休みを楽しく過ごして、なんとか再登校の一歩を踏み出してほしい!」
そんな思いから、夏休みの最終日には、娘が行きたいと言ったすべての場所に連れて行きました。
それが功を奏してか、娘は勇気を振り絞って2学期の始業式から学校へ行くことができました。
私は、再びランドセルを背負って学校へ向かう娘の姿に安堵し、嬉しくて涙するのでした。。
再び「学校へ行きたくない」という言葉に目の前が真っ暗に
しかし、、、その1週間後。
娘からの「学校へ行きたくない」という言葉を聞き、絶望感が私を襲います。
再登校を果たして天にも昇る気持ちだったので、その分の絶望感は計り知れないものでした。。。
でも、今から思うと、まだ娘は「学校へ行ける」状態ではありませんでした。
私がムリやり学校へ行かせてしまったんです。
「早く学校へ行ってほしい!」
そんな思いと焦りが私には強くありました。
まだまだ私は学ぶべきことがたくさん残っていました。
【娘の不登校 4か月目】私はイライラ、悲しみの中で、子育てで大切な「共感」を知る
不登校経験者の話を聞きに行く
私ははじめて、不登校を経験した子ども、親の話を聞くという集まりに参加しました。
私の周りには不登校経験者という人はいなかったので、この集まりは「私たち家族だけじゃないんだ」という、ほっとした気持ちになりました。
これまで、いろんな人に相談してきましたが、やはり「実際に経験した人の話」は、私の心を楽にしてくれました。
そして、不登校だった子が「学校に行け、と言われなかったことが救い」と話していたのを聞き、私はもう娘に「学校へ行きなさい」ということは絶対にやめよう、と決めました。
娘にイライラが止まらない。。
自分の部屋に引きこもりがちになった娘は、ひたすらYouTubeを見て過ごしていました。
「みんなは学校へ行って頑張って勉強しているのに」
と、ついつい心の中で不平不満をもらし、イライラしていました。
自分の部屋から出てきた娘が私のイライラを感じて、再び自分の部屋に閉じこもってしまう、ということも多々ありました。
全く、気持ちに余裕がない状態でした。
「共感」の大切さを知る
- 娘は部屋に引きこもりがち
- 会話はメール
- 娘は部屋でYouTubeを見て過ごしてる
こんな状況に私も気持ちが落ち込み、心を落ち着かせたくてネットに救いを求めました。
そこで出会ったのが「子どもにはどんどん失敗させなさい」という本でした。
この本を読んで、私は初めて子どもに共感することの大切さを知りました。
そして、「命令・指示・提案」が良くないことを知りながらも、ついやってしまう自分がいましたが、この本で「Iメッセージ」を使った伝え方を知り、とても勉強になりました。
Iメッセージ・・・「あなたが○○しないと、お母さんは困る」というような「私」を主語にしたメッセージ。
ちなみに「○○しなさい!!」は、「あなた(子ども)」が主語になってしまいます。
▼「子どもにはどんどん失敗させなさい」の本の内容に関しては、別記事で詳しくお伝えしています▼
そして、同じ著者の本である「無理して学校へ行かなくていい、は本当か」も読み、さらに子どもへの共感の大切さ、子どもの話を聴く大切さを再確認しました。
また、子どもの不登校にはさまざまな原因がありますが、親のコミュニケーションを変えることで克服できる可能性もあると、この本に教えてもらいました。
▼「無理して学校へ行かなくていい、は本当か」の詳しい内容は別記事で詳しくお伝えしています▼
それでもなかなか「共感」と「傾聴」ができず、ついつい子どもに「指示・提案」してしまう自分に自己嫌悪するのでした。。
神社で神頼みをする
娘の希望で大阪市西淀川区にある「姫島神社」と、京都市東山区にある「安井金比羅宮」にいきました。
「姫島神社」はやり直しの神様なので、娘は「令和2年までに今の自分を変える」と絵馬に書き、「安井金比羅宮」は縁切りの神様なので「学校に行けない自分と縁を切れますように」とお願いしていました。
神様の力をかりて、一生懸命、前に進もうとしていました。
私は、ついつい子どもに「指示・提案」してしまったり、家でYouTubeを見て過ごす娘にイライラする自分を変えたい!
そう思って、私も娘と一緒に京都市の安井金比羅宮で、
- 子どもにあれこれ指示してしまう自分
- 不足を探してしまう自分
の2つの縁を切りたいとお願いしました。
娘を信じて待つことに努力する
ついつい
- 「○○したら?」
- 「○○しないの?」
- 「○○したほうがいいんちゃうん?」
と言ってしまいそうになるところをグッとガマンして、「娘を信じて待つ」ことを頑張ってやってみました。
「「共感力」できまる!」という本の中で、
- やるべきことをやらない、、などはその子のオリジナルペースで成長していくから大丈夫。
- 子どもが「やるべきことをやらない・できない」のは、親として心配になるのが普通。でも、その心配のせいでイライラしたり子どもを傷つける言葉をぶつけたり叱りつけたりということは、すべて逆効果で、百害あって一利なし。
- 親がイライラをぶつけたり、ひどい言葉をぶつけたり、叱りつければ、親の愛情への不信となる。
ということが書かれていて、私は何度もその箇所を読み、自分に言い聞かせました。
今まで「子どもを信じて待つ」ということがでいなかった私には、これが本当に修行のようにツラくて、しんどすぎました。
それでも、頑張って待ってみると、娘は自分のペースでやるべきことをちゃんとするんです。
これには、本当に驚いたし、「ああ、頑張って待って良かった」と思うことができました。
そして、「私、頑張った。少しは親として成長できたかな」と自分に自信を持つことができました。
自分の心を満たすことの大切さも知る
私は『「こんなママでごめんね」から卒業する本』という本に出会います。
きっと、これが私にとって大きなターニングポイントになったんだと思います。
そこには、
- 子育ての悩みの原因は、自分が子どもの頃から握りしめている「自分責め」や「自己否定」の心の癖からくるもの。
- 「自分責め」や「自己否定」をする心の癖を手離すには、自分を癒して大切にすることが大切。
と書かれていたんです。
確かに私はずっと、「もっと頑張らないと!」「こんな自分じゃダメ!」なんて思いながら、自分にムチを打ち続けてきました。
だからダラダラする子どもを見ていると、
「こんなんじゃ、私がダメ母ってことになるやん!もっとちゃんとやるべきことをやってよ!」
とイライラしてたんだと気づきました。
「そうか、まずは自分を大切にしてみよう」
この気づきが私にとって、大きく変われるきっかけになりました。
▼『「こんなママでごめんね」から卒業する本』の詳しい内容に関しては、別記事でも詳しくお伝えしています▼
娘は家で勉強をするようになる
学校へ行けなくなった時から全く勉強をしなくなった娘でしたが、この頃からリクルートの動画教材「スタディサプリ」をやり始めました。
ベネッセの「チャレンジタッチ」は、小学校2年生からやっていたのですが、これは全くやらず、「スタディサプリ」のほうが不登校中の娘には合っていたようです。
部屋で引きこもっている間、YouTubeをずっと観ていることが多かったので、動画教材の「スタディサプリ」は、勉強への抵抗が少なかったようです。
【娘の不登校 5か月目】自分を変える努力と再登校後の不安と戦う
自分を大切にしてみる
子育てをしんどいものにしているのは、「自分責め」や「自己否定」の心の癖ということを知り、「自分を大切にしてみよう」と決意した私。
今まで、「やらなきゃ!」「やらねば!」でいっぱいだった私ですが、少しずつ、やりたくないことをやめて、やりたいことをやるようにしていきました。
苦手だけど、「きちんとしなきゃ!」と頑張ってきた家事を手抜きしてみたり、ずーっと観たかった韓ドラをAmazonプライムビデオで楽しんでみることにしました。
始めはソワソワするんです。
頑張らないと手抜きも、好きなことを楽しむことができない状態でした。
それでも、自分のやりたいことをして自分を満たして大切にしてあげると、「私はいるだけで十分素敵!」と思えるようになってきたんです。
すると、
「○○しなきゃダメ!」
「○○はやったらダメ!」
「○○するべき!」
「ちゃんとやらなきゃ!」
みたいな自分自信をしばる呪いからもすーっと解放され、子どもに対してもイライラすることが激減しました。
そして、「ありのままの自分でいい」と思えるようになってきて、娘に対しても「ありのままの娘でいい」と心から思えるようになりました。
そして「なりたい自分になる」ことを一番に考えました。
それは「いつも笑顔のお母さん」。
なりたい「いつも笑顔のお母さん」を意識して、日々を過ごすようにしました。
【参考記事】子供の不登校で得た一番の学び【母親である自分が楽しく生きることの大切さ】
自分が変わることで娘も変わる
私は、子育てを通して自分を見つめなおし、「何かをしなければ価値はない」と思ってしまう自分から「このままの自分でいい」と思える自分になれてきました。
だから、なんとなく娘の不登校はなくなる気がする。。
そう思った矢先、娘が「学校いつ行こう。3学期から行こうかな」と言い出したんです。
すごいタイミングに少し驚きましたが、「やっぱりそうか」とも思いました。
娘の再登校に喜ぶ。でも、、不安でいっぱい
母親である自分が変わって、娘も少しずつ変わり始め、ついに「来週から、学校に行く!」と娘が決意します。
2か月前、娘が学校へ頑張って行ったときには天にも昇る気持ちでしたが、結局、再び行けなくなって、その分の落胆が凄かった、、
だから今回は、「嬉しいけれど、まだ安心できない。」と気持ちを引き締めて再登校を受け止めました。
娘が「この日から学校へ行く」と決めた日に向けて、担任の先生と打ち合わせをし、保健室の先生にフォローをお願いし、なるべくできることは準備して、その日を迎えました。
そして無事、娘は自分が決めた日に再登校を果たします。
それでも、体調不良を繰り返し、行っては休み、行っては休みする娘に私は不安でいっぱいでした。
「また、学校へ行けなくなったらどうしよう。。」
やはり正直、「学校へ行ってほしい」と思う私には、この「行けたり、行けなかったりする状態」は本当にしんどかったです。
毎朝、不安、安堵、落胆、、いろんな気持ちと向き合う日々でした。
この時期は、私自身が「○○でなければいけない」の思い込みを手離せた時であり、常に不安と隣り合わせで苦しい時期でもありました。
【娘の不登校 6か月目】同じ境遇だったお母さんのブログに出会い、助けられる
毎朝、気が気でない、、
- 今日は学校へ行けた。よかった。。
- 今日は行けなかった。。
- もしかしたら、また学校へ行けなくなるんじゃないか。
毎朝、娘の言動のひとつひとつに反応して、私の心は乱れまくります。。
一度、再登校したのに行けなくなった経緯があるので、この時の私は本当に不安でいっぱいで、いっぱいで(>_<)
それでも、「今の私ができる限りのことはしよう」と、娘が話してくれる「今日、学校であったイヤなこと」には、共感しながら聴くことに努めました。
運命のブログに出会う
そんな不安でいっぱいの私は、またネットで心の支えとなる情報を探します。
そして、あるお母さんのブログに出会います。
それはもう10年くらいも前のブログなのですが、同じように娘が不登校になってしまったお母さんのブログでした。
読んでみると、「親としてダメだった子どもへの対応が娘を学校生活についていけないほど弱い子にさせ、不登校にさせてしまった」と書かれていて、その「親としてダメだった対応」が私そっくり、、!!
共感できるところがいっぱいで夢中になって読みました。
その中に「母親の法律33条」というのがあり、それがとても私にとって衝撃的でした。
第一条
「命令・指示はしない」
第二条
「脅迫・注意はしない」
第三条
「説教はしない」
第四条
「提案・忠告はしない」
第五条
「尋問・質問はしない」
第六条
「勝手な想像はしない」
第七条
「反対は言わない・逆らわない」
第八条
「不足・不満は言わない」
第九条
「子供には謝らない」
第十条
「子供は誉めない」
第十一条
「子供は叱らない」
第十二条
「言い訳をしない」
第十三条
「先さきものを言わない」
第十四条
「子供より字数を多くしゃべらない」
第十五条
「子供の好みは聞かない」
第十六条
「子供の評価はしない」
第十七条
「見たらわかることは言わない」
第十八条
「母親側の事情は言わない」
第十九条
「すねる子をつくるな。すねたらなだめるな」
第二十条
「何でも母親に聞いてくる子はつくらない」
第二十一条
「親は嘘をつかない、矛盾を言わない」
第二十二条
「親は誘導はしない」
第二十三条
「親は過保護にはしない」
第二十四条
「母親は、会話でボールの色を変えてはいけない」
第二十五条
「母親は、一度に二つのことを言わない」
第二十六条
「母親は、仕切り屋にならない」
第二十七条
「親は教師にはならない」
第二十八条
「やる気のない子にしない」
第二十九条
「子供上位にはしない」
第三十条
「先さき心配はしない」
第三十一条
「子供に手伝いはさせない」
第三十二条
「親の思い通りにはならない、反対になる」
第三十三条
「朝の、ないない戦争はしない」
▼「母親の法律」については別記事で詳しくお伝えしています▼
【参考記事】母親の法律 ー子どもの不登校を克服するために母親が守るべきことー
私はこの法律に違反しまくってると反省しました。
このブログのお母さんは試行錯誤で法律に従って自分を変えて、子どもの不登校から抜けだしたとのことでした。
ブログの娘さんは5年生で不登校になったものの、お母さんが変わったことにより、子どもも変わり、不登校になることはなくなったそうです。
そして、現在の娘さんはいきいきとされている様子が書かれていたので、私の希望の光になりました。
だから私も、この法律をできる限り守ってみようと決意しました。
そして、こちらから先回りしていろいろ言ったりやったりするのではなく、「求められた時だけにやさしく応える」ことを念頭に頑張ってみようと決意しました。
そして、そのお母さんが学ばれていた「親業」にも関心を持ち、その本を読みました。
▼「親業」に関して詳しい内容は別記事で詳しくお伝えしています▼
そして、この「親業」で得た知識が娘の不登校を抜け出す大きな力になりました。
「能動的な聞き方」ができた
娘の不登校を抜け出す大きな力になった知識というのは、「親業」で書かれていた「能動的な聞き方」です。
これは、「子どもの言葉から気持ちを理解して、自分の言葉で言い換えながら聞いてあげる」聞き方です。
ある日の朝、娘が
「Aちゃんが他の子と遊んでいるのをみるとつらい。だから学校へ行くのが嫌や」
と話してくれたんです。
今までの私だったら、「そんなん、他のお友達と遊んだらいいやん!」って言ってしまうところだったんですが、、、(めっちゃ提案。母親の法律「第四条」に違反!!)
「そうか、Aちゃんが他のお友達と遊んでたら、寂しくなるんやね」
と娘の気持ちを理解して、私の言葉で言い換えながら(能動的な聞き方)話を聞いてあげたんです。
すると、娘は
うん。でも、Aちゃんのことは吹っ切るわ。もうBちゃんと遊ぶことにする。
お母さん、今日1日だけ休ませて。気持ちを整理したいから。
と、自分から「Aちゃんとのことは気にせずに他のお友達と遊ぶ」という答えを出し、前向きに動き出したんです。
そして、約束通り次の日から登校し、初めて1週間連続して学校へ行くことができました。
この「能動的な聞き方」のもつパワーにとても驚きました。
【参考記事】知ってるだけで大違い!子供の自立心を高める親子のコミュニケーション方法
【娘の不登校 7か月目】時間も心も余裕ができ、子育てが楽しくなる
「体調不良でない限り、学校を休むことはない」と確信する
自分の気持ちを整理して、前向きに歩き出した娘は、もう学校を休むことはなくなりました。
「また、学校へ行けなくなったらどうしよう。。」
ずっと、そんな不安でいっぱいでしたが、娘が心身ともに元気になった様子を見て、「もう大丈夫だ」と確信を持つようになりました。
子育てのスピリチュアルな考え方を知る
「江原啓之のスピリチュアル子育て」という本に出会い、私は子どもに対する見方を変えることができました。
それは
現世での経験は親のほうが多く積んでいて、親のほうが子どもより上だと考えてしまいがちですが、たましいでは子どものほうがずっとたくさんの経験をし、親より成長しているかもしれない
という考え方です。
「この子たちは、私よりもずっとたましいの年齢が上なのかもしれない。私はこの子たちより早く生まれただけなんだ」
そんな風に子どもに対する見方が変わると、「子どもなんだから、私に従え!!」みたいな傲慢な気持ちはなくなってきていました。
▼「江原啓之のスピリチュアル子育て」に関しては別記事で詳しくお伝えしています▼
子育てが楽に、楽しくなる
「子育てってこんなにしんどいものやったなんて、、」
ずっと、そう思って苦しんできました。
でも、娘の不登校をきっかけに、自分を見つめなおして「子どもは子ども」「自分は自分」と考えられるようになると、イライラは激減するし、子どもは自分で考えて行動するしで、本当に気持ちが軽くなりました。
そして、「気づけない毒親」という本の中に、「○○しなければならない」という強迫観念は、戦中・戦後を生き抜くために生まれた考えであって、今はもっと自分の好きなように、ゆっくりと過ごしても生きていける時代だと書かれていて、私は「確かにそうかも」と妙に納得したんです。
▼「気づけない毒親」に関しては別記事で詳しくお伝えしています▼
なので、子ども達がダラダラとテレビやYouTubeを見たり、ゲームで遊んでいても、
「そうやんな、ゆっくりテレビとかYouTubeとかゲームで楽しみたいやんな。わかる、わかる。」
「ま、やることはやるやろ。やらんかっても自分が困るだけやしな。それもいい経験になるわ」
とのんびり構えて、私は私で好きなように本を読んだりして時間をすごすことができるようになりました。
前の私なら、イライライライライライラして、「そんなことしてる場合なん?宿題したん?!」とか言ってたと思うのですが(-_-;)
結局、私がガミガミ言わなくても、子ども達は失敗しながら自分で成長していくんだと分かり、本当に身も心も軽くなりました。
そして、私がそんなふうにゆったり構えていると、娘も私が「○○しーや」とか言わなくても、するべきことを自分で考えてできるようになってきたんです。
子育てが楽になり、楽しいものになりました。
【参考記事】私も子供も楽に、楽しく生きられるようになった3つの新しい考え方
まとめ:子どもの不登校で辛かった時ほど多くのことを学び成長できました
「私がしっかり子ども達を見張ってないと」
「私がしっかり子ども達にやることを言わないと」
、、、「私がダメな母親と思われる」
そんな思いを手離し、「私は私」「子どもは子ども」とようやく思えるようになって、私は子育ての苦痛から解放され、娘は私の過干渉から解放され、自由になりました。
ここに至るまで、7か月かかりました。。
私がここまでにたどり着くには、たくさんの反省、後悔、失敗、、いろいろ苦しいことがありましたが、頑張って乗り越えて、本当に良かったと思います。
娘の不登校は私にとってかなりツラくて悲しいものでしたが、ここまでの苦痛でないと、「自分を見つめなおして、成長させる」という努力をし続けることはできなかったと思います。
【参考記事】「娘の不登校の原因は何?」解決策を考える中で得た気づきと学び
もしかすると、明日また娘は学校へ行けなくなるかもしれないし、子育ての色んな問題が出てくると思いますが、それでも、「私にはまだ学ぶことがあるんだ」と思って乗り越えていこうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。